Take Your Time

仕事や研究、コンピューターとの付き合い方

仕事で全力を出さない

仕事で全力を出すと疲れ切ってその後本能のままに生活してしまう。例えば、ダメだとわかっているのにスマホ持って風呂に入って無駄に時間を使ったり、もっといえば風呂に入る気もなくなったり、明日の準備を怠ったり、さらに悪いのは同居人に対する態度が悪くなったり。 これらの些細な堕落が長期的に見れば大きな影響をもたらす。たとえば、風呂にさっさと入って寝れば引かなかった風邪を引いたり、心にゆとりがあれば出来た準備を怠って仕事でミスをしたり、さらに投げやりな態度で同居人と接したせいで最終的には離れる羽目になったり。 仕事で全力を出していいのは、全力を出さないとついていけない入職後すぐとかプロジェクトの山場とか限られた場面だけ。それ以外の平常時には8分目でやめてゆとりを持っておく。

hiraginoでR Markdown

R Markdownでhtml出力するときは簡単なのだが、pdf出力が結構大変。普通にyamlに以下のように書いても日本語部分が自動で折返されなかったりしてうまくいかない。

title: "Test"
author: "hogehoge"
date: "2018/7/17"
output:
  pdf_document: 
    latex_engine: xelatex 
mainfont: Hiragino Kaku Gothic Pro

ずいぶん四苦八苦したが以下でよいみたい。

---
title: "test"
author: "hoge"
date: "2018/7/13"
output:
  pdf_document: 
    latex_engine: xelatex 
header-includes: 
  - \usepackage{bookmark} 
  - \usepackage{xltxtra} 
  - \usepackage{zxjatype} 
  - \usepackage[hiragino]{zxjafont} 
---

強化学習という技術でベルマン方程式が使われているらしい。まあ当然なんだろうけどいわゆる予測のための機械学習はミクロ計量と親和性が高くて、強化学習はマクロと親和性が高いというのが面白い。しかし、マクロにおけるベルマン方程式はパラメーターを更新するというより正解を導き出すためのもので、少し使い方が違う。そこで思ったのが、そもそも正解を出すということに重きをおいている機械学習と、正解を得たあとの経済全体の動きを知りたい経済学ではステージが違うんだなということ。機械学習系の人は人間の細かい動きを経済学がトレースしていないことを問題視するが問題のスコープがもともと違うのだろう。

僕の領分はここまでです、キャリアゴールはこれです、進捗はこれです、という生き方に魅力を感じないのはなぜだろう。 社会は変わっているのに需要側の事情は無視でただひたすら自分の都合だけで「仕事」をする。 それって世間になんらかの作用を加えるという意味での「しごと」といえるのだろうか。もっと言えば、今の時代に生きていると言えるのだろうか。一人でバーチャル空間でやってても一緒じゃない?