「コミュ力」が信奉される世の中である。国の審議会の茫洋とした議論で使われるのはどうでもいいが、鋭い議論を展開すると評価されるような人も使っている。 結婚市場では見合いシステムが崩壊し、労働市場では上司ー部下関係が崩壊し自発的に動ける人間が評価される世界では必須スキルであることは間違いない。
コミュ力は定量的には発話回数とか発話による他者の行動の変化量のようなもので測るのだろうが、問題なのはどうやったらコミュ力があがるのかということだ。
単純に発話量(Twitter、LINE、Slackなどでの投稿数も含む)が増やすことがまず一歩。だいたいの童貞はここで躓いている気がする。 その次に発話内容が他者に影響を及ぼすかどうか。だいたいの社会人はここで戦っている気がする。
発話内容の強化のためには、人の認知能力にあわせた簡潔性だとかストーリー性だとかグラフィックだとかいろいろあるが、問題はこれがゼロサムゲームであることだ。
人の可処分所得が一定のなかで消費の配分をどうするかと同様に、ある人が起こせる行動の量は一定であるので強烈なコミュ力強者が鎬を削る世界は極限までコミュ力を高めても世の中はそんなに変わらないという無為な世界なのではないか