機会があって博士人材をどうしたらいいのかというヒアリングを受けたのでそこで考えたことを書きたい。 いわゆるポスドク問題というのは、アカポスを得られずにフリーター化や挙げ句の果てに犯罪に及んでしまう人がいる現象があり、そのために博士課程の期待収益が下がったことで進学者が減ったことを指すと考えている。 ここですでに前提があって、それはポスドク問題は日本国内の問題だということだ。グローバルで見ればいわゆる情報系のPhDの価値は過去最高にあがっているしスタンフォードのMBAとCS PhDなら後者を欲しがる人の方が圧倒的だろう(おそらく20年前は逆だったはず)。また、ポスドク問題は潰しのきく情報系や工学、医学、経営・金融の話ではなく、基礎理論や人文系といった潰しの効かない専攻の話だということだ。また、さらに言えば、博士号の有無にかかわらず旧帝院卒の後光が差した人物が、専攻がどうあれ堂々と人事担当者に志望動機を語ればそれなりの企業は採用するはずなので、そうしたコミュ力やビジネスマインドがない人材の問題ということになる。 つまり、そもそも、ポスドク問題は「つぶしのきかない専攻」「コミュ力やビジネスマインドの点で学部人材や修士人材に劣るスペック」というものが複合した人材への救いがないということに集約される。逆を言えば、CSなど潰しのきく専攻 or 学部人材や修士人材を圧倒するコミュ力・ビジネスマインドがある人材は勝手に学部人材や修士人材と伍して一般労働市場で生き残っていける。であるならば、そうしたつぶしのきかない人材が勝てる可能性の低いアカデミアでの成功を夢見て人生をかけた結果負けたことの責任をどこまで負わせるのかという話になる。 ここで、負けることは許されんから間口を狭めて博士進学を非常に厳しくするとか、負けた後のセーフティネットのために無理やりデータサイエンスや会計やファイナンスを一律に勉強させるというパターナリスティックは、日本の競争力をさらに低めることにつながるため有害である。 夢見る若者が「負ける権利」は認めてあげるべきであり、堂々と戦って負けた後は修士卒や学部卒と戦えばいい。そこで負けるならハロワの仕事である。リスキリング・就職支援をハロワの相談員が頑張ればいいという話になる。
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初政府の研究会。 相変わらず喉の調子が悪い。今回は10分過ぎくらい。vicks舐めながらだったのだが、オフラインで声を張り過ぎた+早口でしゃべりすぎた。 丁寧にゆっくり声量抑えてしゃべらなければ
三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実
1969年に三島由紀夫が東大学生と公開討論した模様を軸に当時の状況を振り返ったドキュメンタリー。 おそらく三島と同じ時間以上出演していた芥正彦という人物。まだご存命なようだが当時も今も哲学風の意味のわからないことをひたすらしゃべっているだけでよくこんな人と会話したなと感じた。三島は非常にわかりやすく、厨二病みたいな大学生を諭すように議論していてさすがの知性だと思った。 駒場の900番教室。あそこで授業を受けたことがほとんどなかった気がするが(全体でのオリエンテーションとかで使ったかもしれない)まさか歴史の現場だと思わなかった。 三島の楯の会も滑稽な組織であったがひたすら背伸びして騒いでいた東大生も滑稽だった。今の高齢者はあの滑稽な時代をいまだに信じてるのだろうか